「稲の種は買うのですか?」
小学生の総合学習の時に質問された時、「はっ」っとなった。
稲の種は、買うものなのである。(特に新潟では)
もちろん、自家採取することは出来る。しかし、コシヒカリBLが導入されている新潟では、ほとんどの場合が種は買うものなのだ。
では、いつ頃からこうなったのだろうか?
先週末、福井農業試験場の方のお話しを聞く機会があったので、ここに記しておきたいと思う。
今から約100年前1911年当時 は、本当に沢山の品種があり、農家で自家採取されていた…。そこに育種学という考え方が入り、「純系選抜」というやり方が入ってきた。
※純系選抜は、田の中での変わり種を選抜育成していくやり方。
これによって 、宮城の「愛国」、山形の「亀の尾」、兵庫の「神力」、京都の「旭」などが世に出てきた。
それに続いて、明治37年に「交配育種」という 人の手を加えたやり方で生まれてきたのが、耐冷性が強い「陸羽132号」、陸羽132号×森多早生=「農林1号」、農林1号×農林22号=「コシヒカリ」というおなじみの品種が作出されてきました。
この「コシヒカリ」。現在でも作付面積NO.1ですかが、どこで育種されたものがご存じでしょうか?
お米マニア?なら「福井」ということはご存じのはず。
今回は、その先の話をしていきます。
コシヒカリは、昭和19年に新潟で交配されましたが翌20年は戦争のため育種は休止されておりました。21年、22年で新潟で固定作業が行われ、23年から福井で選抜作業が行なわれました。ただ、20府県で試験栽培した結果…茎は倒れやすく、いもち病に弱く、収量もイマイチ…ということで、品種としての生き残りも難しいか…という状況でしたが、新潟県・千葉県が奨励品種に指定し結果、世の中に残ることになった。
その後、昭和31年5月に品種登録されています。 より詳しくは、ココ「コシヒカリ」
現在、コシヒカリの系統でない品種は、主食用では10%以下です。それだけ、日本人に支持されている品種なのです。
ちなみに、コシヒカリの兄弟としては、ホウネンワセ、越路早生、ヤマセニシキ、ハツニシキがあります。
戦争にも屈せず、先人達が種を受け継いできた歴史を思うと、稲作りにも力が入ります。
もうすぐ、新潟にも田と戯れる本格的な春が来ます…。