全国の農協は、第二次大戦後の農村の生活改善、食糧増産を担い、農薬・機械・資材の供給により農作業を効率化し都市部へ人財を送り込む事を可能にしてきた。それによって、日本の高度経済成長を支えたと言っても過言ではない。
手作業の農作業から機械による農作業へと移り変わり、週末だけの農業・三ちゃん(じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん)農業が可能になった。
しかし、それから約70年が過ぎ、日本の社会は成熟し、人口は減少局面に入った。
社会(環境)の変化とともに農家も変化を迫られている。それは農協も同じこと。
少数の専業農家が何とか生き残ろうともがき苦しむなか、農業を営まない農家とのギャップは広がっているが、機会の平等だけでなく、結果の平等が維持されている。
農協法第1条には、こう書かれている。
農業者の協同組織の発達を促進することにより、農業生産力の増進及び農業者の経済的社会的地位の向上を図り、もつて国民経済の発展に寄与することを目的とする。
農協も多様化する経営形態やニーズに対応すべく、変わらねばならないが、農家は他人のせいにするのではなく、今自分がどうあるべきか、常に変わらねばならない。
変化出来なければ淘汰される。自然界の鉄則である。